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いちみの教室さんからの日記
モンスター。 今、何かと話題のモンスター化現象。 理不尽な注文や苦情、無理難題な要求をする人達のことをモンスター(化け物)と呼んで恐れている。 学校現場に関わるものをモンスターペアレントと言い、テレビでドラマ化されたのでその実態を垣間見ることができた。 たとえば、担任が他の子ばかりひいきして自分の子を見ていないから担任をかえろ。 うちの子が学校に行っててけがをしたんだからうちの子が休んでいる間は、学級閉鎖にしろ。 小学校は義務教育だから給食費を払う必要ない。など…色んなことを言ってきている。 なんでこんな現象が起こっているのでしょうか。 親は、子がかわいいので子がよくなるように色々注文や苦情を言ってくるのは当然ですが、ここで言っている注文や苦情で子が喜んでいるか、子のためになっているかを冷静に判断していない。 親馬鹿ならぬ、馬鹿親になっていることすらわかっていないのです。 モンスターは、真剣に化け物(馬鹿もの)をやっているのです。自分が何をやっているかわかっていないのです。 わかっていないならわかってる周りの人が教えてあげればいいだけです。 けれど、周りの人はおかしいことを言っているモンスターに何も言わない、見て見ぬふりである。 自分に火の粉が降りかかるのを避けている。 それどころか、このモンスターを利用して問題をもっと大きくするやからすらでてくる始末である。 モンスターは、モンスターだけにあらずである。 私は、クラスの子がかわいくて他のクラスの先生がクラスの子を悪く言っていたら、その子に対する弁護を始めていました。また、反対もありで、他の先生と一緒になってその子が悪いと言っていることもありました。それもこれもその時は、その子のことを考えてその子のためを思っての行為だということを疑う余地はありませんでした。 けれど実のところ、私の指導が悪く思われないように、同僚の先生との間が悪くならないように立ち回っていたのです。自分の立場が悪くなることを恐れていたのです。 今あちらでもこちらでもモンスターと言われる人々が出現しているのは、前回の記事で述べたように人々のどっちつかず、あやふや、傍観者、私は悪くない、事勿れ主義が生んでいるのだと言うことです。責任を取ることを避け続けた結果なのです。 モンスターをつくっているのは全ての人の責任、自分の責任だということです。 今の学校全体、いや社会全体がこういう流れのなかで動いている。だから、みえる形としてあちらでもこちらでもモンスターが出現している。 注文や苦情が無理難題だというのであれば、そのことをきっちりとした態度で言っていくだけのことです。 なにが問題なのですか。 自分の曖昧、我だけ善し態度。これを言うと自分の立場が悪くなる。 これ以上、話がこじれるのを避けたいため、なんとかこの場を治めている。 自分の本心を誤魔化し責任逃れをし続けているから新たな問題をどんどん生んでいるのです。 モンスターが問題なのではない。 自分を守り、責任を取れない態度が問題なのです。 そうしていくことが、みんなとうまくやっていく方法だと教えられてきたのです。 うわべだけの調和、平和、優しさをつくりだしている。 責任を取らない自分の態度が全てを生んでいるのです。 日本人は、つつましいと言おうか、腹黒いと言おうか、自分の思っていることを言うのを避ける、はっきりしない、曖昧、どっちつかず、悪者になるのを避ける。それが他人を思い、周りのことを考えているいい人なのである。自分だけの優しい、いたわり、心地よいを求めている。 人を傷つけないように迷惑かけないように、みんなからはみ出ないように、まわりに合わせて生きるのが常識、当たり前と教えられてきた。そしてそれを自分で選んできた。 それをなんら疑問と思わないように教えられてきた。教えられたんじゃない、つまりは教え込まされ、それが絶対なんだと信じ込まされてきた。 いや、一番楽な方法と思い自分が選んできたんだ。誰の選択でもない自分で選んでいるのだ。 そうすることが自分を守る唯一の方法と信じてきた。 けれど、もうそんな誤魔化しが利かないところまで追い詰められてきている。 あちこちでモンスターとなって、色んな思いが爆発している。 何かおかしい、何か変だと、みんな気がつきはじめている。 教育って何。 みんなに同じ考えを教え込み、信じ込ませる…。 えっ・・・これって…洗脳…。 教育は、最大最強の洗脳だ。誰にも気づかれないように今まで合法的にやってきた。 戦後、公立学校からは、宗教が排除され、教育が全ての基礎をつくるように仕向けられてきた。 みんなに同じ考え方を持つように、支配しやすい様にコントロールしてきたのだ。 その学校が機能しなくなっている、今までの教育では問題を解決できない。 おかしいと思うことでも周りに合わせて言わない平和教育、自分の損になることや直接害が及ばないことには、見ざる、聞かざる、言わざるを決め込む。 枠の中での自由教育、弱者を思いやるふりをする博愛教育。 真実を隠して相手に合わし、周りから後ろ指さされないように生きていくこと。 個性を大切にといいながら、はみ出る奴を許さない、みんなと同じように行動すること、考えることを教育していく。 教育という名の洗脳。 全て支配しやすい様に洗脳しているだけだ。 教育が崩壊している。チャンスである。 いろんな機関で小手先の改革をしているが、こんなの屁の突っ張りにもなっていないってことを先生も親も子も知ってる。 国が先生が親が子が悪いと言って、お互い責任の擦り付け合いばかりやっていて何が変わると言うのだろうか。 国がシステムを何度見直しても変わらないことをみんな知っていて何を待っているのでしょうか。 現場の先生は、どうすることもできない現状をなんとかしようと悪戦苦闘して神経をすり減らし、病に倒れる先生や現場から離れる先生が増加の一途だ。 教室では、いじめが当たり前のようにあり、成績重視は依然とはびこり、先生の言うことを素直に聞くふりをすることを続け、自分を押し殺している。当然こういう現状になじめない子は、学校に行かないし行けない、不登校が増加。 こんな教育、学校が本当に必要なのでしょうか。 もう答えは、出ているのです。 こんな教育、学校はいらないのです。 誰かが言ってくれるのを待っている、言いだしっぺになるのを避けている。 教育や学校は、必要と思う人がいなくなれば、なくなります。 つまりは、親も子も先生も今の教育、学校にNOを出せばいいだけなのです。 学校での学習に不安があるから塾に行き、不必要な出費が増え、その学費のために親が働きにでて家庭がおろそかになる。子は、学校と塾の両方をこなすために神経をすり減らす。 何のために学校に行き、教育というものを受けさせなければならないのでしょうか。 国の教育改革を待っていても、現状が大きく変わらないのはもう今までで十分わかったはずです。 だからと言って、国だけが悪いのではありません。 今まで国任せ、責任転嫁してきた自分の責任なのです。だからここで、自分ら一人一人が決断してやっていくときがきたのです。 教育は、学校に行っている間だけのことではありません。 生涯教育、真の生涯教育を今始めるときがきたのだということです。 昔、先生は教え子を戦場に送ったことを反省して、二度とそんなことが起こらないようにと願ったと聞いている。しかし、今は戦場が教室、学校、教育に変わっただけなのです。 おかしなと思いながら今のシステムをやり続けているのは、戦場に子を送ったときとなんら変わらない。おかしいと思いながら、国の方針だからと言って、画一的な教育を続けている。 八方塞がりの中、まだ、続けていきますか。 教育は、なぜ必要なのですか。 学校は、なぜ必要なのですか。 色んな問題が浮き彫りになってきているということは、一人一人が当事者となって、真剣に考えていくときがきたということです。 全ての要の教育がおかしいことを教えていることを自覚する。 自分の責任である。
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発達障害と診断されてどうしてうちの子が...なんて言わないで下さい。少しでもお役に立てればと思い発達障害の情報を集め、嘆くより行動、そして勉強、指導して皆で一緒に乗り越えたい。そんなブログです。

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不 登 校


不 登 校
そのとらえ方と対応のしかた
東海大学教授 山崎晃資


職場の方から東海大学の山崎先生のところにお子さんが通所通していると聞いて早速しらべたとろ、アチャの登園拒否、5月からのしぶり登校など、参考になり、将来の思春期のことまで載っていたので写し書きいたしました。


1.不登校とは


身体的にはなにも問題がなく、知能的にも十分な能力を持っているにもかかわらず、な んらかの情緒的な問題によって登校できない、または登校しようとしない子ども達が増えています。

このような子ども達は、これまでは「学校恐怖症」、「登校拒否」、「学校嫌い」 などと呼ばれておりましたが、最近では「不登校」といわれることが多くなってきました。

不登校は、さまざまな情緒的な問題を持つ子ども達が、学校という場に対するある種の反応としてあらわす行動の一つです。

多くの場合、子どもの悩みや葛藤、両親の養育態度 や対応の仕方、学校での問題などが複雑に絡み合って、「不登校」という状態が形作られるのです。





2.不登校は病気ではない

不登校または登校拒否は病名のように考えられがちですが、国際的な診断分類表には病名としては載っておりません。

不登校は、子 ども達があらわす多彩な症状の中の一つであり、その背景にはいろいろな原因がありまず。

しかし、社会的問題として大きく取り上げら れるようになりますと、理由のいかんにかかわらず学校に行くことを嫌がる子どもをなん でも不登校といってしまい、画一的に扱ってしまう傾向が多くなってきております。
子どもは、同じ年頃のお友達との集団活動や学校生活を経験しながら発達していくものです。

子どもが、自らの発達の場であるべきはずの学校から遠ざかってしまうことには、 重大な意味があるはずなのです。





3.不登校の症状のあらわれ方


不登校の子どもは、まず、朝の登校時刻になると、頭痛、腹痛、下痢、めまい、などの身 体症状を訴え、学校に行くのをしぶるようになります。←誰でも一度はやるよね。

タ方になると少し元気になり、「明 日は学校へ行く」といって登校の準備を始めたり、タ方や休みの日は普通に外出したり、 外で遊んでいます。

学校を休み続けていますと、朝なかなか起きずに昼近くまで寝ていて、 日中は家の中で好きなことをして過ごすようになります。

家族が学校の話をしたり、無理に登校させようとすると激しく怒りだし反抗的になり、特に母親に対する乱暴がみられるようになり、無理難題をいい始めます。

時には、激しい乱暴のために、家庭生活が維持できなくなることもあります。(家庭内暴力)

不登校が長引きますと、昼夜が逆転した生活となり、外出しようとせず、家族からも孤立してしまいます。



4.子どもは、いろいろな理由で学校に行くことを嫌がる

 
どんな子どもも、学校に行くことを嫌がることがあります。

風邪を引いて学校を休んだ 後に、風邪が治っても学校に行き難く、「頭が痛い」といってもう一日位休むことがあります。

誰もが経験してきたことです。

お友達とのトラブルでいやな思いをしたり、陰湿ない じめを経験したり、教師の配慮に欠けた乱暴な態度に接しますと、子どもは敏感に反応して登校を渋ることがあります。

両親の強圧的な養育態度に押しつぶされそうになったり、 家庭内のトラブルのために不安になっている子どもは、家から離れられなくなって登校で きなくなることがあります。

また、子どものうつ病や精神分裂病の症状のために登校できないことがあります。

精神 遅滞、自閉症、学習障害の子どもが、子どもの発達レベルを無視した不適切な指導を学級で受けている場合、登校を嫌がることがしばしばみられます。

家族の学校教育に対する考え方や経済的理由などで、親が子どもを登校させないこともあります。

また、子ども自身が自分の生き方に疑問を持って悩み、他の子どもとは異なる生き方を しようとして登校を積極的に拒否することもあります。

その一方で、怠けて学校に行かないこともあります。

最近、毎日、少しづつ目を覚ますのが遅れる睡眠覚醒リズムの障害のために、登校でき なくなってしまうケースのあることが見い出され、ビタミンB12療法が有効であることが判ってきました。

まるで海外旅行で経験する「時差」のようなものです。

このように、子どもが学校に行くことを嫌がるのには、実にさまざまな理由があるのです。

学校に行かない子ども達を、「不登校」と画一的に呼び、同じように扱うことは無意味なのです。



5.不登校はなにを意味しているのか


こころの発達の過程で、どの子ども達もさまざまな困難を経験しますが、それを乗り越えることによってさらに成長していきます。

ところが、最近の子ども達には、乗り越えるべき問題が多過ぎますし、ハードルが高過ぎるようです。

不登校の子どもは、学校での挫折・いじめなどの体験をきっかけに、問題を 乗り越えることができなくなってしまい、学校から逃避し家庭の中に閉じこもってしまう のです。

勿論、子ども達を家庭に閉じこもら せてしまうような要因が、現在の学校教育や 地域社会、さらに家庭の中にあることが問題 ですし、「登校しない」ということが両親や教師を最も悩ませるショッキングな出来事とな ってしまったことに問題があるのです。

いろいろな悩みを持つ子どもは、さまざまな行動を症状としてあらわしてもよいはずです。

なぜ「不登校」だけが子どもにとっての「最強のカード」になってしまったのでしょうか。

情緒的な問題を持つ子どもが学校で嫌な体験をしますと、まず、身体的な症状を訴えて登校できないことを両親に伝えようとします。(初期)←アチャはこれにあてはまる...

これは、「問題解決の場に登場するための入場券」を差し出すことなのです。

たいていの場合、小児科を訪れて診察を受けますが、自律神経失調症、起立性循環障害、過敏性大腸炎などと診断されたり、「たいしたことはありません」といわれます。

病名を告げられた子どもの両親は、「病気のせいなら仕方がない」と納得しますし、「病気でもないのにずる休みしている」と叱りつけ、無理に登校させようとします。

しかし、子どもは自分の悩みの原因がどんなものかは判らなくても、大変辛いものであることはよく知っています。

学校にいけない状態が続きますと、子どもはいらいらし、家族が学校のことを話題にすると激しく興奮し、乱暴したり、物を壊したりします。(興奮期)←ヒステリーもあったなそういえば...

この時期の子どもは、まさにせっぱ詰まった状態に追い込まれており、両親の誤った対応に「危険信号」を出し、一刻も早い救いの手を求めます。

折角危険信号を出して問題に気づいてもらおうとしても、 両親が当惑して、腫れ物に触るような態度をとり続けていますと、子どもは疲れきってしまい、危険信号も出さなくなります。

昼夜が逆転した生活となり、気力を失い、家族から も孤立した無為な日々を過ごすようになります。(慢性期) ● 

小学三年生の太郎君は、ゴールデン・ウィークが過ぎる頃から、立ちくらみがひどく なり、学校に遅刻するようになりました。

学校に行っても給食を食べることができず、早退するようになり、やがてまったく学校に行けなくなりました。←全くではないが、起きれない、疲れたばかりいうのよね〜

まわりの人々からは、「ずる休み」といわれますがどうしようもなく、次第に怒りっぽくなってきました。

母親に連れられて児童精神科医を訪れた太郎君は、とっても利発そうな子どもで すが、もじもじしていて、自分の考えをはっきりいえませんでした。

困っているのは事実なのですが、なにが原因なのか判らないようです。

そこで絵画療法を始めました。

家族や自宅の絵を描きながらセラピストと話し合っているうちに、弟にお母さんを取られるので はないかという不安を持っていることが明らかになってきました。

太郎君は、弟が幼稚園に行ってから登校し、弟が幼稚園から家に帰ってくる前に帰宅していようとしていたようです。

治療が進むにしたがい、自分の考えをはっきりいえるようになった太郎君は、四年生になったのを機に元気に登校し始めました。

小学生となった弟と一緒に登校しています。

● 中学一年生の次郎君は、一学期の終わり頃から、朝、家を出ると三歩前進すると二歩 後退する奇妙な歩き方をするようになり、ついには学校に行けなくなってしまいました。

児童精神科医との面接の中で、次郎君はぽつりぽつり悩みを話し始めました。

入学直後、担任の先生から班学習についての説明があり、「互いに協力し合って頑張るように。
誰かが怠けるのは班の全員の責任だ」と厳しくいわれました。

宿題を完全にやっていかないと班の皆の迷惑になると考えた次郎君は、夜中まで机に向かっているようになりました。

やってもやっても不安で、ついにはからだが思うように動かなくなってしまったのです。

軽い安定剤を服薬して不安が弱まると、スムーズに歩けるようになり、無理をせずに適度に勉 強するようになりました。

● 高校三年生の花子さんは、二十歳になったら自殺しようと考え、学校には行かないで 家で映画のシナリオを書き始めました。

家庭の事情で、幼児期から親戚の家を転々とさせられていた花子さんは、どこに行 っても良い子として振舞ってきました。←やばっ、これはチッタだ!!(初めのころ長女にかかりっきりだったから、預ける事もあったなあ...

ある時、他人の目ばかりを気にして、他人に気にいられるようにばかり振舞っている自分を醜 く感じるようになりました。

大好きなシナリオを書いて、自分が生きていたという証を作ってから、自分の意志を完全に通すことので きる自殺をしようと考えたのです。

聡明な花子さんとの面接は、治療者の方が教えられることが多く、考えさせられてしまうものでした。

アパートで独り暮しを始めた花子さんは、冷静に自分を見つめ直し始めたようで、いろいろな生き方のあることを受け入れるようになりました。

幸いに、どの子ども達もそれぞれにきっかけをつかみ、自分の人生を歩み出し始めました。

これからの生活の中で、それぞれの生き方を見い出してくれるでしょう。



7.不登校に気づいた時、親はどうしたらよいのか

成長の過程におけるある種の葛藤ですので、子ども自身が自分の力で困難を乗り越える ことができるようにサポートし、待っていてやることが大切です。

なぜ子どもが学校に行きたがらないのか、これからの人生をどのように過ごそうとしているのかをじっくり語り合うことが基本です。

学校に行かせることだけが目的ではないのです。

子どもが成長し、発達してきたこれまでの歴史を基盤にして不登校という症状があらわれているのですか ら、子どもが問題を克服するには相当な時間が必要なのです。

年単位で取り組むくらいの気構えが必要です。←カッとなった感情を自分でコントロール出来るように訓練するには10年かかると私の先生がいってたなあ

学校に行くか行かないのかを決め、実行するのは子どもなのです。

親がいくら焦っても、強制しても、おだてても無意味なのです。

「本当は学校の勉強に向いていない」

と考える子どもならば、思い切って学校をやめさせてもいいのかもしれません。

学校での勉強の意味と必要性を考える時がきてから、学校に行くべきなのでしょう。

なにも考えず、悩まずに漫然と学校に行き、勉強さえしていればすべてが許されるという安易な生活をしている多 くの子ども達と比較すると、不登校の子ども達の方が、本当は健康なのかもしれません。

不登校があるのであれば、「登校症」というのもあるはずです。

人間として当然抱く成長のための苦しみと考えて、腹をくくって、子どもの気持ちを理 解しようと努力しておりますと、やがて子どもは生活リズムを取り戻し、自立への道を歩 き始めます。

ポンと肩を叩き、はずみをつけるように勇気づけ、学校へ行くことをすすめることが必要な時もあることを銘記しておいて下さい。

家庭内暴力の場合にも、乱暴することによって子どもがなにを訴えようとしているのかを考えることが大切です。

いたずらに暴力を恐れ、乱暴させないように子どものいいなりになっていてはならないのです。

人々と共に生きていくには、互いに守らねばならない最低のルールがあることをきちんと話し、 限度を超える行動には親であっても耐えられない ことを言葉に出して明確に示さなければなりません。

自分を犠牲にして、あまりにも子どものことだけを考えるのは逆効果です。

親も子どもも、それぞれの人生があることを思いだして下さい。

一時の感情的な対応や罪責感を持つことが、一番悪い結果となります。



8.どこに相談に行ったらよいのか

不登校や家庭内暴力は、両親がその扱いに最も苦慮する問題です。

頭ではわかっていても実際に子どもと向かい合っているとつい“カー”となって感情的になるものです。

そういう時には、気軽に児童精神科医やカウンセラーに相談して下さい。

最近、学校以外の場で、子ども達が自主的に集まり、いろいろな経験を通して互いに成 長しようとする「フリー・スクール」や「自然学校」などのグループが、各地に増えています。

最寄りの保健所、教育研究所や教育相談室、青少年相談センター、児童相談所、 精神保健センターなどにご相談下さい。

いろいろな情報が得られます。

この話を読んで、サプリも同感です。勉強が出来て大学にいって、いい就職先につくことが、子供の幸せと安定ではないと思います。うちの子はいろんな面で障害児です。それが解ってから考え方も、ずいぶん変わりました。
最終的に私たち夫婦が笑って老後を過ごすことが出来るのは、そういった子供たちが、一人で社会にでて、自分の食べるもの位稼ぎ、家事も炊事も自分で行い、親孝行なやさしい子になってくれればいいのです。最低限、生活できる自立と心の発達を願っているのです。
私の先生が最低20年辛抱して見捨てず頑張りなさい。といわれました。自分の感情のコントロールで10年、自立で10年が目標です。それが達成できた時、この子達の子育ては終わり、見守っていく事が出来るようになるそうです。その先生事態、お子さんが自閉症だったのですごく心に響くんですよね。今は養護施設に入っているけれども、施設でも問題を起こさず、めんどうも、心配もかけない、そして私を気にかけてくれる大人になったそうです。

話が不登校からそれてしまいましたが、今日はこのへんで....
GREEの日記をうっかり全部消しちゃったよー(泣)コミュも消えたー!!あああああ....


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