2008.08.20の教育テレビ3thは「発達障害の人の結婚がテーマです。
東京・神奈川建地区20時から放送です。
見れる人は参考にして下さい。
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いちみの教室さんからの日記 モンスター。 今、何かと話題のモンスター化現象。 理不尽な注文や苦情、無理難題な要求をする人達のことをモンスター(化け物)と呼んで恐れている。 学校現場に関わるものをモンスターペアレントと言い、テレビでドラマ化されたのでその実態を垣間見ることができた。 たとえば、担任が他の子ばかりひいきして自分の子を見ていないから担任をかえろ。 うちの子が学校に行っててけがをしたんだからうちの子が休んでいる間は、学級閉鎖にしろ。 小学校は義務教育だから給食費を払う必要ない。など…色んなことを言ってきている。 なんでこんな現象が起こっているのでしょうか。 親は、子がかわいいので子がよくなるように色々注文や苦情を言ってくるのは当然ですが、ここで言っている注文や苦情で子が喜んでいるか、子のためになっているかを冷静に判断していない。 親馬鹿ならぬ、馬鹿親になっていることすらわかっていないのです。 モンスターは、真剣に化け物(馬鹿もの)をやっているのです。自分が何をやっているかわかっていないのです。 わかっていないならわかってる周りの人が教えてあげればいいだけです。 けれど、周りの人はおかしいことを言っているモンスターに何も言わない、見て見ぬふりである。 自分に火の粉が降りかかるのを避けている。 それどころか、このモンスターを利用して問題をもっと大きくするやからすらでてくる始末である。 モンスターは、モンスターだけにあらずである。 私は、クラスの子がかわいくて他のクラスの先生がクラスの子を悪く言っていたら、その子に対する弁護を始めていました。また、反対もありで、他の先生と一緒になってその子が悪いと言っていることもありました。それもこれもその時は、その子のことを考えてその子のためを思っての行為だということを疑う余地はありませんでした。 けれど実のところ、私の指導が悪く思われないように、同僚の先生との間が悪くならないように立ち回っていたのです。自分の立場が悪くなることを恐れていたのです。 今あちらでもこちらでもモンスターと言われる人々が出現しているのは、前回の記事で述べたように人々のどっちつかず、あやふや、傍観者、私は悪くない、事勿れ主義が生んでいるのだと言うことです。責任を取ることを避け続けた結果なのです。 モンスターをつくっているのは全ての人の責任、自分の責任だということです。 今の学校全体、いや社会全体がこういう流れのなかで動いている。だから、みえる形としてあちらでもこちらでもモンスターが出現している。 注文や苦情が無理難題だというのであれば、そのことをきっちりとした態度で言っていくだけのことです。 なにが問題なのですか。 自分の曖昧、我だけ善し態度。これを言うと自分の立場が悪くなる。 これ以上、話がこじれるのを避けたいため、なんとかこの場を治めている。 自分の本心を誤魔化し責任逃れをし続けているから新たな問題をどんどん生んでいるのです。 モンスターが問題なのではない。 自分を守り、責任を取れない態度が問題なのです。 そうしていくことが、みんなとうまくやっていく方法だと教えられてきたのです。 うわべだけの調和、平和、優しさをつくりだしている。 責任を取らない自分の態度が全てを生んでいるのです。 日本人は、つつましいと言おうか、腹黒いと言おうか、自分の思っていることを言うのを避ける、はっきりしない、曖昧、どっちつかず、悪者になるのを避ける。それが他人を思い、周りのことを考えているいい人なのである。自分だけの優しい、いたわり、心地よいを求めている。 人を傷つけないように迷惑かけないように、みんなからはみ出ないように、まわりに合わせて生きるのが常識、当たり前と教えられてきた。そしてそれを自分で選んできた。 それをなんら疑問と思わないように教えられてきた。教えられたんじゃない、つまりは教え込まされ、それが絶対なんだと信じ込まされてきた。 いや、一番楽な方法と思い自分が選んできたんだ。誰の選択でもない自分で選んでいるのだ。 そうすることが自分を守る唯一の方法と信じてきた。 けれど、もうそんな誤魔化しが利かないところまで追い詰められてきている。 あちこちでモンスターとなって、色んな思いが爆発している。 何かおかしい、何か変だと、みんな気がつきはじめている。 教育って何。 みんなに同じ考えを教え込み、信じ込ませる…。 えっ・・・これって…洗脳…。 教育は、最大最強の洗脳だ。誰にも気づかれないように今まで合法的にやってきた。 戦後、公立学校からは、宗教が排除され、教育が全ての基礎をつくるように仕向けられてきた。 みんなに同じ考え方を持つように、支配しやすい様にコントロールしてきたのだ。 その学校が機能しなくなっている、今までの教育では問題を解決できない。 おかしいと思うことでも周りに合わせて言わない平和教育、自分の損になることや直接害が及ばないことには、見ざる、聞かざる、言わざるを決め込む。 枠の中での自由教育、弱者を思いやるふりをする博愛教育。 真実を隠して相手に合わし、周りから後ろ指さされないように生きていくこと。 個性を大切にといいながら、はみ出る奴を許さない、みんなと同じように行動すること、考えることを教育していく。 教育という名の洗脳。 全て支配しやすい様に洗脳しているだけだ。 教育が崩壊している。チャンスである。 いろんな機関で小手先の改革をしているが、こんなの屁の突っ張りにもなっていないってことを先生も親も子も知ってる。 国が先生が親が子が悪いと言って、お互い責任の擦り付け合いばかりやっていて何が変わると言うのだろうか。 国がシステムを何度見直しても変わらないことをみんな知っていて何を待っているのでしょうか。 現場の先生は、どうすることもできない現状をなんとかしようと悪戦苦闘して神経をすり減らし、病に倒れる先生や現場から離れる先生が増加の一途だ。 教室では、いじめが当たり前のようにあり、成績重視は依然とはびこり、先生の言うことを素直に聞くふりをすることを続け、自分を押し殺している。当然こういう現状になじめない子は、学校に行かないし行けない、不登校が増加。 こんな教育、学校が本当に必要なのでしょうか。 もう答えは、出ているのです。 こんな教育、学校はいらないのです。 誰かが言ってくれるのを待っている、言いだしっぺになるのを避けている。 教育や学校は、必要と思う人がいなくなれば、なくなります。 つまりは、親も子も先生も今の教育、学校にNOを出せばいいだけなのです。 学校での学習に不安があるから塾に行き、不必要な出費が増え、その学費のために親が働きにでて家庭がおろそかになる。子は、学校と塾の両方をこなすために神経をすり減らす。 何のために学校に行き、教育というものを受けさせなければならないのでしょうか。 国の教育改革を待っていても、現状が大きく変わらないのはもう今までで十分わかったはずです。 だからと言って、国だけが悪いのではありません。 今まで国任せ、責任転嫁してきた自分の責任なのです。だからここで、自分ら一人一人が決断してやっていくときがきたのです。 教育は、学校に行っている間だけのことではありません。 生涯教育、真の生涯教育を今始めるときがきたのだということです。 昔、先生は教え子を戦場に送ったことを反省して、二度とそんなことが起こらないようにと願ったと聞いている。しかし、今は戦場が教室、学校、教育に変わっただけなのです。 おかしなと思いながら今のシステムをやり続けているのは、戦場に子を送ったときとなんら変わらない。おかしいと思いながら、国の方針だからと言って、画一的な教育を続けている。 八方塞がりの中、まだ、続けていきますか。 教育は、なぜ必要なのですか。 学校は、なぜ必要なのですか。 色んな問題が浮き彫りになってきているということは、一人一人が当事者となって、真剣に考えていくときがきたということです。 全ての要の教育がおかしいことを教えていることを自覚する。 自分の責任である。 ********** ■ リンク
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Author:サプリンZ |
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2008.08.20の教育テレビ3thは「発達障害の人の結婚がテーマです。
東京・神奈川建地区20時から放送です。 見れる人は参考にして下さい。 どの子も伸びる どの子も伸ばす学童期に大切なこと 中学校期に大切なこと (道は先生が作る さあ、進むのは君たちだ)から写し書きしています。以下参照↓
昨日は、おかやま発達障害者支援センター所長 土岐淑子先生の講演を拝聴する機会がありました。 ノースキャロライナでティーチを学び、長年にわたり岡山の療育をリードされてきた方だけに、内容に重みがあるだけでなく、、一つ一つの言葉を慎重に吟味され、様々な配慮をされながら、大切なことを紡いでいかれるような話ぶりで、感銘を受けました。 この講演の中で土岐先生は、学童期に大切なこと、中学校期に大切なこととして、以下のような点を整理されていました。 【学童期に大切なこと】 ・ ・ 役に立っている自分 (うまくいっていると本人が感じる生活) ・ 学校との協力関係 ・ 評価の共有、優先順位のすりあわせ ・ コミュニケーションバランス ・ 小さなわかる、できるの積み重ね 【中学校期に大切なこと】 ・ 自尊感情の回復 ・ 肯定的な自己理解 ・ 学校生活:援助の要が希薄、子ども集団の変化 ・ 進路:周囲の価値観、社会の仕組み → 対応できない子どもたち 二次障害(追い詰めない・混乱させない・孤立させない=予防) 基本的なこと、大切なことを吟味・精選されるような内容でしたので、私の方も、一つずつ自分の実践を振り返り・確かめながら聞かせていただきました。 まず、何といってもキーワードは「自己有用感」だと感じました。 ここからは、私の思いになりますが、とにかく子どもに自分がダメだと思わせたら、教育になりません。 あれもできません、これもダメです、ここが限界です、それは無理です・・・・・ 誰かの都合で勝手に決めた線で、子どもにマイナスのダメージを与え続け、どれだけ自己イメージを下げたら気が済むのでしょう。 それで一体、子どもの自立や幸せに対して、どんな意味があるのでしょう。 誰かと、何かを比べるのではなく、その子の強みを見つけ、その子らしさを生かして、どんどん行動や学習のレパートリーを広げていけば、必ず自己有用感は向上します。学ぶ楽しさ・知る喜びも生まれます。 一人でも多くの実践者がこのことを大切にされ、子どもの自立や幸せに直接結びつく取り組みで成果を上げていかれることを、願ってやみません。 中学校期については、私はそれほど踏み込んだ実践がありませんので、貴重なご示唆として深く心に留め置きました。 このことも視野に入れた学童期の教育ということも、考えなければならないなと感じました。 私の学習指導は、 「とにかく子どもが楽しいと言う 」と、どのお母さん方も異口同音におっしゃいます。 理由は簡単です。 多少お笑いも入れますが、そんなことで長続きするわけもありません。 正解は 「学習で、ほとんどつまずかせないから」 です。 必ず向上した成果と手応えを見せ、そして評価し、次の目標に向かわせる、このまま行けば、もっとイケルかも知れない、という期待や手応えを感じることができるからだと、私は考えています。 それは、毎日が小さな目標だからです。 少なくとも、今日のこの学習内容にかかわる、この子の認知特性は、世界中で私が一番よく知っているはず、という自負があります。 小さな目標では、いけませんか? それでも、大きな目標で、子どもを痛めた方が伸びると考えますか? 太郎君のお母さんが、「たとえ遅くとも、必ずそこへ行かせる」という内容のメールを下さいました。何と力強い決心、私は心の中で大きな拍手をおくりました。 例え、多少遅くても、小さなステップで、必ずゴールに行かせてみせる! 土岐先生の言う 「わかる、できる積み重ね、知る喜び」 は、SHINOBU流ではこういうことです。 私は尊敬する先輩の先生から 「教師の最大の指導性は、見通しをもつこと」 ということを徹底的にたたき込まれました。 小さなステップも積み重ねていけば、かなりのとこまで行きますよ。 先を急いで、土台を崩したり、何をやってるのかわからない迷い道では、苦しいけど、小さな一歩も、成長の手応えさえあれば、それは大事な一歩です。 たとえ1円でも、お金であれば、倹約し積み立てていけば、知らないうちに海外旅行に行けちゃいます。 楽しみながら、続けられればなおさらです。 でもそこに、見通し・計画・設定、そして意志と価値観は不可欠です。 みんなSHINOBU先生に任せさいな。 道は先生が作る。 さあ、進むのは君たちだ。 大変参考になりました。 中学校を選ぶ時の大事な参考要素になりそうです。 また、小さな目標の積み重ねは、発達障害の子を持つ親にとっては苦しい心構えです(ToT ) もともと、出来ないものは出来ないし、発達が未熟なので....┏(x_x|||)┓ でも、普通の子のように同じ量、もっと多い量を求めるのは、子どもを追い詰める事だと 共感できます。 もっと緩やかに小さな出来る喜びの成長を待つことがいかに大事かわかったような気がします。 そうかあ...と思って下さった方、ポチっとクリックしてくださいな(*^ー゚)v
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